今日はアルケミスト講座でした。 高橋ナナです 1ヶ月ぶりに受講生の皆さんにお会いして、自分の本質で生きるって、こんなにもパワフルなんだなと、逆に私の方が皆さんが教えられています。 先週末から、土日クラス、平日クラスと、アルケミストのクラスをやっていて、本当に何回も何回も出てくるワードがあるので、今日はそれをシェアしていきたいと思います。(受講生の方にとっては復習になります) まず、大前提として、多くの方が、湧き上がってくる「感情」や「思考」を「自分」としているということ。 それらを自分だと思い込んで、それらに同化し、それを演じきっているということ。 ちょうど、ゴリラの着ぐるみを着ていて、その着ぐるみを、自分自身だと思い込んでいるのに似ています。 まずはそれに気がついてもらいたいです。 自分が悩んでいると思っているし、自分が大変な目に遭っていると思っている。 自分自身が変化すれば、何かの良い方法を使えば、それらをどうにかできると思ってる。 これは無理な話です。 「それらをどうにかできる」という思考が、ゴリラだから。 ゴリラを着たままで、ゴリラがゴリラを脱ごうとしている感じです。 これを今読んでいるあなたに、少しやってもらいたいことがあります。 目の前に綺麗な花が咲いているとします。 あなたはその「花」でしょうか?「この花は私だ〜〜!!!」って思いますか?? 花は花ですよね? そして、観察できる、認識できるということは、あなたは「花」そのものではないですよね?? これと一緒なんです。 冷静に観察して見てください。 「〇〇について悩んでいる」「〇〇という問題を抱えている」「〇〇についてムカついている」 そう認識できる、観察できるということは、あなたは、 「〇〇について悩んでいる」「〇〇という問題を抱えている」「〇〇についてムカついている」 ”それそのもの”な訳ではありません。 とっても簡単。 だけど、多くの人は、 「〇〇について悩んでいる」「〇〇という問題を抱えている」「〇〇についてムカついている」というのを自分だと思ってしまう。 ”それそのもの”だと思っている。 自分をゴリラだと思い込んで、救いが必要だ、救われなければ!と思い込んでしまう。 だから深刻になる。 だって、自分のことを、「救われなければならない弱い存在」だと思い込んでいるから。 そりゃ深刻にもなります。 それらの思考と感情に”同化”してしまうから、溺れるし、そこから出られないし、苦しい。 そして、見事に、それを証明するような現実が目の前に現れ、「ほら、やっぱり私は救いが必要な人間だ!」と、まるで鬼の首取ったかのように、自我は、「ほらね!やっぱり私はが正しかった」と勘違いする。 さらに深く思い込む。 これは言うのにとても勇気がいることですけれど、どんな思考や感情も、「自分の心」や「頭の中」と言うスペースみたいな場所に、湧いていきてはいるけれど、それは自分自身ではないんです。 自分の中にただただ勝手に湧いて来ているだけで、本質の自分、それらに気づいている視点の自分からしたら、本当は「自分」などでは決してない。 自分の、”たった一部”ではあるかもしれないけれど、自分の全部でも、自分そのものなわけでもない。 そこに咲いている花に気づいている自分が、花そのものではないように、湧いて来た思考や感情すら、本質としての自分ではない。 それでは、この肉体が自分ですか?? そしたら、Aさんが記憶をなくして、最新の技術を駆使して、AIのように、Bさんが持っている記憶や情報、能力、パーソナリティを脳にインストールしたとします。(↑実際にこれができるようになるのも時間の問題と言われていますが) 肉体はAさんだけど、振る舞いや過去の記憶、考え方なのどはBさんと言う状態です。 この場合、この人は一体誰でしょうか? 人は何をもって、どの部分を、「自分」と定義してるのでしょうか?? 見た目はAさん、中身はBさん。 自分って、何かの”条件”によってコロコロ変わるものなのでしょうか? では、もう一つ深くいきましょう。 これはエゴにとって、とっても怖いことですが・・・・ 「私」って誰ですか?? 私は・・・こういう歴史を持ち、こんな経験や能力を持った、こういう性格の人。 あれ??あれれれれ??? なんか、しっかり認識できてますね。 じゃあ、そう認識し、観察し、気づいてるいるのは、一体誰ですか?? 何が言いたいかと言うと、実は「私」すらも、ただの思い込みです。 現に、他人から見たら、自分自身が思ってるのと全然違うように、「私」のことを表現してくれたりします。 いつも、いかなる時も、本質の私は、条件に関わらず、ただそこに在る、存在感というか、意識です。 確固たる「自分」って、よく言う「本当の自分」って、実はこれだけです。 今、便宜上、「自分」という言葉を使っていますが、これはパーソナリティーなどに絡め取られるような、条件でコロコロ変わっていくようなものではなくて、今、あなたの心臓を動かしているエネルギー、「命」のことです。 だから究極言うなら、「自分」なんていません。 刻々と移り変わり、動いている、エネルギー「命」が在るだけです。 たとえ生まれ変わって肉体が変わったとしても、記憶喪失になって自分の名前す続きをみる
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